歴史群像(2月号)
・特集記事第1弾「幻のアウトレンジ戦法」。太平洋戦争でおきた昼間の砲撃戦での実際の命中率はどうだったのかを検証。
・太平洋戦争前の日本軍の対米戦略は、中部太平洋における艦隊決戦で勝利し、有利な条件で和平することであった。
軍縮条約で主力艦・補助艦の建造を対英米6割に制限され、これを補うために猛訓練以外に艦隊決戦前に敵兵力を削減することにスポットが当てられた。
つまり、潜水艦による雷撃、および空母による航空攻撃で敵兵力を削減し、残存艦隊を中部太平洋で撃滅する構想である。
・さらに艦隊決戦で優位に立つためには「相手の届かない距離から一方的な攻撃を行う=アウトレンジ」攻撃が望ましく、そのために世界唯一の18インチ砲搭載の大和型戦艦を就役させた。
・本特集では、このアウトレンジ戦法が実践での命中率から見て、本当に正しかったのかを検証。
・太平洋戦争では様々な海戦が行われたが、昼間の砲撃戦となると数は少ない(ソロモン海戦は日米の戦艦も参戦したが、ほとんどが夜戦)。
サンプルとしてスラバヤ沖海戦、アッツ島沖海戦、サマール沖海戦があげられ、実践での命中率が記載されている。
・スラバヤ沖海戦:太平洋戦争初期の海戦で、日本軍(重巡駆逐艦までの2戦隊18隻)とABDA艦隊(米英蘭豪の連合艦隊。戦力はほぼ同等の15隻)の海戦。
アッツ島沖海戦:太平洋戦争中盤の海戦で、北部方面の拠点であるアッツ島沖での日米海戦。日本軍(重巡以下8隻)米軍(重巡以下6隻)。
・サマール沖海戦:レイテに突入した栗田艦隊(大和武蔵含む戦艦以下23隻)と米軍護衛空母艦隊(護衛空母6隻含む13隻)の海戦。大和の18インチ砲が始めて敵艦船に向けて火を噴いた。
日本軍も海戦当初は「アウトレンジ」を掲げていたが、実践での命中率の低さから命中率を上げるためには肉薄するしかないことに気づき、サマール沖海戦ではこれまで1%未満だった命中率を大幅に回復させている。
アウトレンジ戦法の場合「射程ギリギリの砲撃はほとんど当たらない」、「砲撃を開始することにより海戦が始まってしまい、海戦が始まると艦隊の距離を狭めることは困難」などのデメリットがあり、結局アウトレンジ戦法で海戦を開始した場合、超遠距離の砲撃戦がダラダラと続き、結局艦隊決戦構想は成り立たないのではないだろうかという結論に至っている。