もうちょっと加速しないと終わらないなあ・・・。

◎外人烈伝(3)近鉄編・1992年

●1992年(平成4)

前回は91年について書いたが、いくつか重要と思われることを書き漏らしたのでまずその補記から。
近鉄は2年目野茂を軸に小野和義、佐々木修(いずれも規定投球回到達、防御率10傑入)らが奮投したが、阿波野は大きく調子を落とし投球回38、2勝2敗1Sに終わった。
順位は2位(77勝48敗5分、首位西武は81勝43敗6分。3位のオリックスは64勝63敗3分)、秋口まで首位にいたこともあったが、西武にまくられて追いつけなかった。

黄金時代をむかえた西武にあまんじる時期が続いているが、まずはトレーバーの抜けた穴をどうするか、これが近鉄の課題であった。
92年1月22日、ドジャーズ傘下3Aアルバカーキビリー・ビーンの獲得を発表。
しかし開幕は3番ブライアント・4番リード。リードは昨年の一見平凡な記録の中に、長打率5割以上という非凡なものが隠れていた。
開幕以降、リード、ブライアントで主軸を構成するが、6月26日アルビン・デービスエンゼルス)の獲得を球団が発表。
この時点でブライアント(15号)リード(7号)、2軍落ちがどちらになるかは明確だった。
ビーンは6月9日の日ハム戦から試合出場するが(ブライアント降格)6月17日を最後に出場なし。外国人名鑑によると試合出場は7試合、6月に退団が決定したらしい。
デービスのお披露目は7月10日の西武戦(3番一塁)、翌11日には来日初HR。幸先はよかったが8月1日ダイエー戦から5番6番の打って帰す役に。
試合記録を眺めるに、安打はでているが期待されているホームランが少なく、9月10日時点で5HR。威圧感が感じられない。
9月15日を最後にデービスは一軍を去った(終盤はリードが再登録)。

◎ラルフ・ブライアント119試合 打率243 38HR 打点96 三振王176 
ジェシー・リード   77試合 打率232 10HR 打点37
ビリー・ビーン     7試合 打率208  0HR 打点 2
アルビン・デービス  40試合 打率275  5HR 打点12 

チームは74勝50敗6分の2位、またも首位西武(80勝47敗3分)の陰に隠れてシーズンを終えてしまった(3位オリックスは負け越し)。
この年、仰木監督は鈴木新監督に託して球団を去った。