ichigou012010-07-29


近鉄編 1995年(平成7)

昨年、後半戦の追い上げで結果的に2位になった近鉄(68勝59敗3分、オリックスと同率2位、西武は76勝52敗2分)。
さらなる戦力補強のため、オフも年が明ける前から忙しい。
11月7日、因縁の日本シリーズで明暗わけた阿波野と巨人・香田の1−1トレード。
メキシカンリーグ所属のデニス・パウエルの入団を12月16日に発表。

しかし、3年目を迎える鈴木啓示監督に年明け早々から試練が。
1月9日、エース野茂が任意引退(メジャー挑戦。この年の開幕投手山崎慎太郎)。
開幕後スチーブンスのバカあたりはあったが、6月9日石井がケガによる登録抹消(ケガは5月18日だったが記録達成のため連続出場)。
6月13日にはブライアントがケガで登録抹消(帰国後7月12日に手術)。
6月26日高村が登録抹消。
これだけ投打に欠員が出れば負けるのも仕方ないが、8月9日から鈴木監督が長期休養に入り水谷ヘッドが監督代行。
8月15日復帰した石井がまたもケガでリタイヤ。
ブライアントは帰国せず、主軸として奮戦したスチーブンスも解雇。

◎ラルフ・ブライアント 48試合 打率194 HR10 打点22 三振77 
リー・スチーブンス 129試合 打率246 HR23 打点70(開幕14試合で10HR)  
◎デニス・パウエル   23試合 2完投 2勝7敗3S 83回1/3 防御率3.67

大石が晩年を向かえ外国人も総崩れの中、中村紀洋が129試合で20HR。
数少ない明るい材料であった。