近鉄編 1996年(平成8)

 佐々木新監督元年、ドラフトでPL学園の福留の交渉権を獲得。
 しかし当の福留は日本の生命保険業に興味があり、プロ野球は二の次。
 結局福留の本心を見抜けなかった近鉄は1位指名権を無駄にしてしまった。
 (2010年現在、福留は日本に進出の著しい外資保険会社の研究のため渡米している)

 ◎この年、近鉄は62勝67敗1分(4位)
 
 「がんばろう神戸」をキャッチフレーズにオリックスが74勝で優勝。
 2位日ハムとオリックスが優勝を争い、3位西武以下はすべて負け越しだった。
 
 3番CD・4番石井・5番ローズの新クリンナップで開幕(中村紀洋も開幕サードでスタメン)。
 しかし開幕2試合で4番石井が離脱(4月4日に左手首手術)ダイエーをクビになったカズ山本が3番に。
 けが人はまだまだ続出、閉幕までに大石、CD、中村紀、高村、清川らがバタバタと倒れた。
 反面、二塁・遊撃には水口、外野には大村・中根らがスタメン起用され、世代交代が進み始めた。

 ◎ルイス・アキーノ      156回 11勝9敗 防御率4.04   貢献度B 印象度C
 ◎C・D(クリス・ドネルス)108試合 打率281 HR20 打点53 貢献度B 印象度C
 ◎タフィ・ローズ      130試合 打率293 HR27 打点97 貢献度A 印象度B

 ※15年以上も昔のパリーグを振り返っていまさら印象度もなにもあったものではないが、とりあえず今の時点での印象をそのまま評価にした。
  貢献度も記録から読み取った真の貢献度をつけたいのだが・・・・。

 規定投球回に到達しチーム内で唯一二桁勝利を挙げたアキーノだが、体のやわらかさを生かしたオクトパス投法も通用しないと判断され解雇に。
 C・Dは20HRとそこそこの活躍をしたが怪我で終盤に離脱、そのまま解雇され来年はオリックスと契約。のべ3年日本球団に所属したが、初年度がピークであった。
 タフィ・ローズは当初中距離ヒッターのイメージしかなかったが、後年55HRを放ち、かつ40歳でオリックスの4番に座ることになるとは思いもしなかった。