当時、国鉄全線乗り潰し企画(チャレンジ2万キロ。スポンサーはフジフィルム、弘済出版社、国鉄)があり、その時の旅行記ノートもでてきた。
中でも記録したことを褒めたくなる記述もあったので、ちょっと紹介。

今年の3月で全滅してしまった東京発のブルートレイン
過去に私は東京から紀勢本線紀伊勝浦まで走っていた「紀伊」に2回ほど乗ったことがあるのだが、その時の記録を発見。
横浜から乗車し、外をのぞきながら通過する駅と時間を記録(事前に全駅をノートに記録し、通過時刻だけをメモするように準備)。
列車ダイヤを自作すれば大体の運行時間は推測できるものの、運転停車ばかりは時刻表上から読み取れないので、ソレナリに貴重ではなかろうか。

寝台特急「出雲3号・紀伊」S56.12.31乗車(東京発2100)
横浜発2126(途中貨物駅の通過記録もあり。馬入川橋梁2153、10秒で通過との記録アリ)
熱海着2231(2番線・1分停車)〜丹那トンネル7841m・4分55秒で通過とある
沼津着2250(2番線・2分停車)〜富士川橋梁571m・26秒で通過
静岡着2334(4番線・2分停車)
金谷を過ぎたところで日が変わり新年。ここで力尽きた様だ。

名古屋202到着9分停車(運転停車。時刻表上は通過)。ここで出雲3号と切り離し。EF65(1000)⇒DD51とあるので出雲3号・紀伊の主機はEF65だった。
駅構内で上り「銀河」とすれ違いとの記録アリ。偶然にも名古屋で眼を覚ますあたり気合が入っている証拠。

名古屋以降記録を続けたフシがあるが、小学生(もしくは中学?)にはとても徹夜は無理。
四日市249到着、運転停車、30秒が最後の記録。

眼がさめたのは終着駅手前と思われ、時刻表上に記載されている駅名と時間しか記録が残されていない。
亀山313到着15分停車(方向転換のため)
津344(いずれも着時間)、松阪403、多気413、紀伊長島517、尾鷲548、熊野市624、鵜殿(運転停車・4分。南紀2号と交換)、新宮658、那智718、紀伊勝浦722(2番線)

この他、事前に書き写したと思われる編成表。
1号車     B3・スハネフ14
2号車     A2・オロネ14
3号車〜5号車 B3・オハネ14
6号車 食堂車    オシ14(ただし営業休止)
7号車     B3・オハネ14
8号車     B3・スハネフ14 以上「出雲3号」
9号車     B3・スハネフ14
10号車〜13号車 B3・オハネ14 
14号車    B3・スハネフ14 以上「紀伊

欄外に、B寝台3段式(新型72センチ)、使用車両14系、表定速度59.9キロ、走行距離621キロ、10時間22分、列車番号4003
S50年10月誕生、S59年2月廃止(←この記述は後日のモノ??)
東京〜名古屋 EF65(1000)、名古屋〜紀伊勝浦 DD51

今回は13号車9番下段に乗ったらしい。特急料金1300円、寝台料金4000円。

この後ろのページに紀伊勝浦からの接続特急「くろしお5号」、正月旅行の帰りと思われる「踊り子号」についても同様のタイム記録が書いてあった。

その他、チャレンジ2万キロの踏破記録も部分的ながら記録が残っており、S57.5.2南武線をスタートにS58.3月の房総旅行まで記載アリ。
夏休みに両親の実家へ行った際に関西方面の乗りつぶしを行っており、国鉄だけでなく私鉄の記録もアリ。
京阪・阪急・阪神電車乗り潰し(主線のみ)、おそらく東京近郊以外で駅を出て町を歩くのははじめてだと思われるが、京阪三条から阪急河原町までの手書き地図がノートの端に書かれており、どうやら京阪から阪急に1人で乗りついだ様子。
今となっては京阪三条あたりは「京風おでんの店」をめあてに暗くなってからフラフラしてしまう地区だが、実はかなり昔に歩いたことがあったらしい。
さすがに酒はまだ呑んでなかっただろうなあ・・・。

結局、本題であった教育担当員の先輩の写真はいくつか見つかったものの(社員旅行)、間近で写っている写真はなく、当時先輩はめがねをかけていなかったので似ているかどうかもかなり微妙。
加えて花見の時の記憶もかなりウスボンヤリしてきてしまっている。
とりあえず、明日もっていってみるか。