前回「寝道楽・食道楽・呑み道楽の長距離各駅停車希望!」と書いたところ、思わぬ反響があった。
「ムーンライトながら」が特急とうかい用車両を使っているとのことで、情報感謝です。
たしかに国鉄時代の大垣行きはチャレンジ2万キロの必需品でしたので何度か利用しましたが、確か中学生の時は急行用165系片開き2ドアでしたね。
連休前の金曜日などはアタリマエの如く混んでまして、トイレ前でうずくまって寝ようとしていたら「チョットすいません」とトイレに入場するお客様に起こされ続けて、結局岡崎あたりまで寝れないということを経験しました。
そのほか夜行列車では国鉄時代の「はやたま」。紀勢本線の天王寺から紀伊半島沿いに亀山まで直通運転でした(客車列車で、先頭はEF58だったかなあ。ワスレタ)。
後に新宮で運転が打ち切りになり、最後は運行自体もなくなってしまいました。もともと御坊以南の早朝海釣りのための列車だったのですが。
押入れの中に小学生の頃の時刻表がまだ残ってまして、1980年10月ダイヤ改正前の時刻表もあります(L特急ライラック登場前、いしかりの時代です。L特急踊り子登場前なので、伊豆方面へは特急あまぎと急行伊豆が主力)。
思えば、両親の実家が和歌山だったこともあり、乗れるブルートレインといえば出雲3号と併結されていた「紀伊」のみ(牽引車はEF58だった)。これには2回乗りました。
切り離し作業が行なわれる名古屋で事故もありました・・・。
新幹線がスピードアップして便利になるのも嬉しいところですが、反面在来線の花形特急が消えるのも残念なことです。
「ドカベン」(勿論高校野球編ですよ!)の東京代表で明訓と対戦したブルートレイン学園。
1番ピッチャー隼、2番サード朝風、3番キャッチャー水穂、4番ファースト桜、5番ライト出雲、6番センター瀬戸、7番レフト金星、8番ショート富士、9番セカンド夕鶴、監督は明星。
1〜4、8番は全滅、5・6番は寝台電車として存続。電車であるので先頭は機関車ではない。7番は名古屋発博多行きの583系電車寝台の特急だったがとっくに死滅、9番は上野初常磐線経由青森行きの寝台特急だったが死滅。
監督は大阪発九州方面行きの寝台特急だった(彗星、あけぼのなどと併結していた)がいつしか死滅。
ブルートレイン学園野球部は今どうなっているのだろう。