■ 戦闘機開発史(零戦編2)■

(1)零戦の改修

大戦期において戦闘機など航空機の寿命はせいぜい2−3年である。
ここでいう寿命とは最前線で戦う現役期間という意味。
2−3年もすれば次世代機が登場するため、旧式化した航空機は引退を余儀なくされるためだ。
しかし零戦の場合は諸事情により終戦までの4年間、最前線機として使い続けられた。
なぜか?

最大の理由は次世代機の開発が遅れたためである。

戦前は新規開発の航空機はコンペ形式でメーカー(おもに中島と三菱)が競って軍の要望にかなう新型機を設計し、軍の要望にかないつつ優秀である機を採用していたのだが、いつしか海軍機=おもに三菱、陸軍機=おもに中島という流れができてしまった。
海軍機は九六艦戦〜零戦という流れを作り上げた設計技師がそのまま引き継いで零戦の後継機種の開発にあたっていたのだが、ロールアウトした零戦から次の戦闘機の開発(雷電)に着手しようとしたところ、現場サイドから零戦の改修について要望がよせられ、雷電の開発と零戦の改修に忙殺されることになってしまった。
しかも雷電はエンジンの振動問題および下方視界不良問題がなかなか解決できず、いつまでたっても零戦後継機の設計に着手できなかった。
零戦の改修については、大戦初期こそ軽快な運動性とパイロットの技量でバッタバッタと敵機を撃ち落していったが、上下左右の旋回戦闘(巴戦)にかなわないとみた敵機が戦法を変更し一撃離脱戦法をとりはじめたため、最高速度でおとる零戦の速度アップが優先事項であった。
零戦デビューから2−3年後(昭和18年頃)の段階で、アメリカ軍はF4Fワイルドキャットに代わる新鋭機F6Fヘルキャット(2000馬力エンジン搭載)を新型空母に配備して続々と最前線に投入してくるのに対し、零戦の後継機・烈風は搭載するエンジン問題でまだもめている最中。
設計陣が雷電の開発と零戦の改修に忙殺された結果、新型後継機の設計が遅れるのは当然の結果だが、現実問題として日本の工業技術レベルで開発・運用できるエンジンの馬力は1000馬力程度であって、次期主力戦闘機に求められる2000馬力級のエンジンはもはやオーバーテクノロジーであった。

(2)零戦の各型

・一一型(A6M2a) 試作3号機から三菱製「瑞星」エンジンではなく中島製の「栄」エンジンを搭載し制式化したもの。
・二一型(A6M2b) 空母搭載用に改造。翼端を50センチづつ折りたたみができるようにし、着艦フックをとりつけた。
・三二型(A6M3)  エンジンを二速過給機つき(高空と低空で空気をエンジンに送り込むファンの回転数を変えることができ、効率的にエンジン性能を発揮させることができる)の栄二一型に換装。翼端も50センチを折りたたむのではなく短くした。

零戦のスピードアップの要望によりエンジンの換装などの改修を行ったが、胴体燃料タンクを小型化せざるを得ず、かつ栄二一型の燃費も一二型に比べて悪いため大幅に航続距離が低下してしまった。
三二型がロールアウトした昭和18年初頭はガダルカナル島をめぐる攻防戦が繰り広げられており、ラバウルから片道約1000キロ(巡航速度で約4時間)を飛べなくなったこの三二型は不評であった。
もともと零戦は極限まで重量軽減を図っているため、改修を加え重量が増加すると航続力や運動性能の低下が顕著に表れる。
改設計を行う余裕が最初からほとんどない機体なのだ。

・二二型(A6M3)  不評であった三二型を基準に、翼端を元に戻し航続力を増加させるために燃料タンクを追加した。
・五二型(A6M5)  主翼を再び50センチ円形整形のまま短くし(三二型は角型整形)エンジンに推力式単排気管(後方排気によるロケット効果)を採用した。
・五二型甲(A6M5a)20ミリ機関砲をベルト給弾式にあらため、若干弾数増加。主翼の外板を厚くし、最大降下速度が増加。
・五二型乙(A6M5b)7.7ミリ機関銃1門を13ミリ機関銃に換装。風防前面のガラスを防弾ガラスに。
・五二型丙(A6M5c)主翼の20ミリ機関砲の外側に13ミリ機関銃を追加(2門)。機首の機関銃は13ミリ1門のみ。操縦席後方に55ミリの防弾ガラスと8ミリの鋼鈑を設置。主翼下面にロケット弾懸吊架装着。五二型に比べ300キロ以上も重くなったため性能低下。

武装強化、速度アップの改修を続けてきたが五二型の制式採用は18年8月。すでにアメリカ軍では2000馬力級のエンジンを搭載し最高速度700キロを出すF6Fヘルキャット、F4Uコルセアが前線に送り込まれ、この程度の小改修ではもはや太刀打ちができなかった。
エンジンを三菱「金星」エンジンに換装したA6M8・六四型の開発も進められたが、試作機の段階で終戦となった。
本来であれば五二型の生産に入る時期に零戦は前線を退き、次期新型戦闘機にその座を譲るべきであったのだが、それができないがために改修を続けて終戦まで戦わざるをえなかったのである。

次回は本来完成するべきであった「日本の次期主力戦闘機」について述べてみようと思う。