2日目の明日香紀行。

■ 明日香 ■

前日、新幹線・近鉄特急・春鹿酒造の3箇所で呑み続けたため、1号2号は早々に沈没。
小学生もまだ寝ない時間に就寝。
朝、早々に眼がさめて窓を開けるとなんと雪!この日は自転車で明日香をまわる予定であり、2月3日にのみ開催される祭りがあるので日をずらすことができない。
雪の積もりつつある猿沢池前から近鉄奈良へ移動し、大和西大寺へ。ここで駅構内の立ち食いうどん屋で朝食。
最近関東でも関西風だしを用意している店が多くなったが、関西ではうどん用の薄いダシが基本。ここは当然うどんをたのまなくてはならない。
このことを思いだしたので2人に教えようと思った(2号には不要か)ら、3人ともうどんを注文していた。
朝食を終えた後、西大寺から橿原神宮前まで移動。ちょうど特急が来ていたので乗車。
大和西大寺まで30分弱。レンタサイクルにするかどうかを検討をしなければならないが、外の天候を見るに雪は積もっているが傘をさしている人がいたりいなかったり。
私は自転車を使ってガッツリまわることを希望したが、橿原神宮駅前の風景を見て白旗をあげた。
小雨はどうとでもなるにせよ、積雪は予想以上。歩道は完全に雪で埋まっており、この上を自転車で走るのは無謀。雪かきが終わっている車道を歩くのは自殺行為。
駅前タクシー乗り場でタクシーを呼んで飛鳥資料館へ移動。まずここで知識補充。
2号は自転車をぶっ飛ばして駅から15分ほどで到着したらしいが、上り坂があるうえに距離もあるので15分は無理。

明日香は藤原京平城京の前の都)に移転するまで政治の中心だった地域。
支配者の代が変わるごとに都を移転していたので、宮廷あとがそこらじゅうに残っている。

■ 資料館から「めんどや」まで ■

雪に覆われた飛鳥資料館に到着。こんな天候の日に誰も来ないからなのか「今日は無料ですよ」。いきなりラッキー。
これから訪れる史跡の事前勉強をした後に(山田寺の建造物現物の再現展示もあった)次の水落遺跡に徒歩で移動。
自転車の場合、反対方向にある山田寺跡(大化の改新中大兄皇子方に味方した蘇我石川麻呂の氏寺)前方に見える甘樫の丘(蘇我氏の邸宅があったところ)もプランに入っていたが今回は徒歩なので割愛。
水落遺跡は「水時計」の跡地。水の量で時間を計っていたらしい。
次は飛鳥坐神社(あすかいますじんじゃ)⇒今日はここで年1回のお祭りが催される。
すでに雪の平野が広がる中に、祭りを連想させる笛の音が始終に響き渡っている。
丘の上にある神社の麓まで来ると、出店が並び人も大分集まっている。
祭りの開催は14:00からとのことで、本祭はみることができないが、その準備段階にある風景を楽しむことにした。
階段を上りはじめると、いきなり面をかぶり割れ竹を持った人が現れ、竹を鳴らしながら階段を降りてくる!
祭りの際はこの竹で相手を叩いたり、体の上にのっかたりして健康・無病息災を願うらしいのだが、まさに奇祭。
むかしは見物に来た人や、街中を歩いている人の尻をこの割れ竹で思いっきりひっぱたいていたらしいのだが、最近はなにかとウルサイのでやんわり叩くようになったとか。

丘の上にある神社(複数あり参拝だけでも大変)を回った後、階段をおりて店に入りおでんと酒を注文。
5枚がさね+厚手のズボンにスパッツ+野球用ストッキングという重武装ではあったが、長い時間外にいるとやはり寒くなってくるのだ。
(ここで、同席した地元のおじいさんに今回のお祭りについて色々話を聴くことができ、非常にためになりました)

一服した後に飛鳥寺へ移動。「ここは修学旅行の定番地ですよ」と言われたためではないが、寺の横の駐車場に見覚えはあった。
飛鳥寺には1400年前の仏像があり、権勢を誇った当時からずっと移動もされていない。
塔への落雷により火災が起こり、仏像以外は皆焼けてしまい本堂もなかった時代もあったらしい。
付近には中大兄皇子中臣鎌足が蹴鞠をした庭園、蘇我入鹿首塚がある。
このお寺では住職が丁寧な解説をしてくれるので、非常にありがたい。
飛鳥寺の後は首塚〜伝飛鳥板蓋宮跡を見た後、昼食にする事に。

昼食は2号が飛鳥に来た際に行くという「めんどや」へ。
飛鳥鍋が売りの店ではあるが、にゅうめんと柿の葉寿司のセットを注文。
寒い中を歩いてきたので非常に温まるし、うまい。テーブルの上にあった調味料が気になったので手に振りかけてなめてみると「ゆず」であった。
にゅうめんにかければよかったのだが、気がつくのが遅すぎた。レジ横で同じ瓶が売っていたので購入、500円。
うどんはよく食べるので、重宝するだろう。

■ 奇石めぐり ■

徒歩で再び移動。次なる目標は期待の「酒船石」。斉明帝の時期に作られた奇石なのだが、いまだその目的も使用法もわかっていない。
写真はみたことがあったが、現地であらためてその奇妙さに疑問を感じた。
この石はあくまでも何かの道具である様子で、仏像や神社のように信仰的なものは何も感じられなかった。
この石のある丘の麓に亀形石造物や石垣が2000年に発見され、この酒船石近隣は再度注目を浴びている。
近所の資料館(?=島田邸跡)でビデオをみたあと、万葉資料館は通過して石舞台へ。
今日2月3日は石舞台で飛鳥鍋1000食無料+花火大会であるのだが、この天候で夜の花火は中止まちがいなく、飛鳥鍋も100人ぐらいしかさばけないのではないかと、いらぬ心配をしながら移動。
現地に到着すると、石舞台横の広場には飛鳥鍋会場があり、11:00から配り始めた飛鳥鍋500食がすでに残り10食をきっており、私と2号がすぐにありついた(第2回配食開始は16:00)。
飛鳥鶏、野菜多数、焼いたモチが入っており、スープは牛乳ベース。うまかった。

石舞台は修学旅行で定番コース。かすかに覚えはある・・・ような気がする。
石舞台の大きさにビックリ、中にも入ってみたが、あくまでも石舞台は古墳。
盛土もないし、墓の中も広大だが中には何もない。
石舞台から橘寺へ移動。川沿いの道を歩きながら、静かな道並を楽しむ。今日は雪景色だが季節によって風景が変わるはずである。
橘寺は聖徳太子生誕の寺だという。ここも2月3日ということで拝観料ナシ。
ニ面石などを拝観後、亀石へ移動。
亀石のある道は細い上に「あれ?こんなところに!?」というほどさりげなく置かれているので、自転車だと気がつかないこともあるらしい。
現地に着くとまさにその通りで、周囲の風景に溶け込んだ状態で置かれていた。
周囲に溶け込みすぎて石の奇妙さがあまり感じられなかった。
ヒョウシヌケの亀石から高松塚古墳へ移動する途中に天武・持統陵へたちより。
この場所が天武・持統陵だとわかったのは鎌倉時代にここを盗掘した盗人の記録が発見されたため。
持統天皇は火葬された初めての天皇なのだが、この盗賊の記録によると灰壷を盗む際に中の灰は捨ててしまったらしい。

次は期待をしたいが確実に期待を裏切られる場所・高松塚。
ここで見つかった壁画を解体修理するために作業を行っていたので、現在ここには壁画はおろか石室も残っていない。
案の定、巨大な工場のごとき建築物(覆い)が遠くからも見え、わかってはいたがガッカリした。風情も何もない。
近隣にある壁画館で石室の内部や壁画の詳細を知ることができたが、役所の怠慢でカビが発生してしまったのは本当に残念である。
高松塚から鬼の雪隠・俎へ移動。
これは古墳が石舞台同様盛土がなくなった状態で石室の底板だけが丘の上に残っており(俎)フタになる石(雪隠)は丘の上から転がり落とされたような状態で残っている。
人為的なものを感じるが、真実はわからない。
ここから今日のラストにあたる猿石へ移動。これは陵の中にある4つの猿面石で、柵越しから撮影は可能。これも奇石。
時計を見ると16:30、ちょっと遠いが2号のお勧めポイント「益田岩船」へ移動。駅1つ分歩くので日没が心配だが、行ける所は行っておこう。
隣の駅から山あいの団地を抜け、現地近隣に到着。ここからは山登り。といっても立派な階段があるではなし、細いケモノ道のようなところを登っていく。
雪もあるしぬかるんでいるので危険なのだが、ゆっくりと10分程度登ると巨石前に到着。
石単体の巨大さは石舞台古墳の比ではなく、とても大きい!!
しかも加工中のままなので、何に使われたのか、誰が作らせたのかも不明。
ラストをしめくくるにふさわしい巨石、来てよかった。

登るときよりも降りる時の方が危険が増したが、各自体の一部を痛めながら下山(丘)。
橿原神宮前駅西口までバスで移動(橿原神宮西口という駅もあるので非常にまぎらわしい)。
近鉄電車で奈良へ。雪の明日香は見ようと思ってもなかなかできない。人も少なかったし、徒歩での移動はきつかったが得るものは大きかった。