●東北旅行最終日(10/5)平泉編
午前中、北上市外にある樺山遺跡(環状列石)に行く予定をとりやめ、直接平泉へ移動するプランに変更。
平泉9:00ごろ到着のスケジュールで北上から在来線で移動。
平泉駅⇒旧観自在王院庭園⇒毛越寺⇒平泉文化遺産センター⇒義経妻子の墓⇒中尊寺⇒平泉文化史館⇒高館・義経堂⇒
⇒柳之御所遺跡⇒資料館⇒無料光院跡⇒平泉駅⇒達谷窟⇒平泉駅
達谷屈以外は徒歩の移動。述べ6時間。
ガイドブックにのっている中で、ゆめやかた奥州藤原歴史物語(人形館)以外はすべて見てまわりました。
・旧観自在王院庭園
毛越寺の隣にある庭園。昔は建物があったようです。
・毛越寺
ここは庭園がすばらしい。極楽浄土をイメージした庭園は宇治の平等院と同じであるが、広さが違う。
焼けてなくなっているが、講堂・金堂などが残っていればもっとすばらしい。
ここには鑓水(池に水を取りりれるための水路ではあるが、石組みを計算して作られている)があり、ここから池への景色もまたよい。
・平泉文化遺産センター
無料で入れる資料館。ゆっくりしたかったが時間がないのと小学生の修学旅行集団とはちあわせになったため、早々に撤収。
・義経妻子の墓(金鶏山)
毛越寺からはほとんが上り坂。金鶏山も標高はたいしたことないが、歩かなければならないため断念。
山への道の途中に義経妻子の墓があるので立ち寄って中尊寺へ移動。
金鶏山は平泉の都市計画の中心であり、この山と太陽の動きを計算して奥州平泉という街が出来上がっている。
奈良の寺社の配置と同じように精緻をこらして街全体が設計されている。
奥州藤原氏の影響力がいかに大きく、幕府朝廷としても見過ごすことができなかったということがうかがえる。
奥州藤原氏はこの平泉を中心に、青森の港から朝廷側との境界まで幹線道路を整備し、金山から取れる金や中国との貿易などによりかなり国力が豊かであった。
・中尊寺
坂道も辛かったが、登っただけの価値のあるものを拝観する事ができた。
金色堂はまさに金一色!
まさに極楽浄土の具現化。(やはりMSにこの色は似合わない)
本堂・金色堂までの中腹にある展望台から衣川方面を望む景色もよかった!
・中尊寺入り口の向かいにある平泉文化史館。
ガイドブックには有料と書いてあったのでお金を準備していたら、今日は無料とのこと。
展示物も多かったのでゆっくり見たかったが、時間がなくなってきた・・・・。
文化史館のすぐまえに大きな駐車場があり、観光バスがずらりと並んでいた。そこからは小学生がゾロゾロと・・・
(なぜかレッドショルダー部隊のATにみえた)
・高館義経堂
義経が自害した場所。中尊寺中腹から見た景色と少し違う角度で北上川・衣川方面を眺めることができる。絶景。
・御所遺跡、資料館
北上川沿いに建設が予定されていたバイパス工事のため、造成をしていたら御所跡が見つかった。
御所遺跡は調査・保存が決定、バイパスはルート変更し北上川を埋め立てて道路を作った。
御所遺跡は奥州藤原氏の政治の中心地だったようです。
資料館にいるときに地震が!ぐらっときた。すぐ収まったけど、さすがに館内の職員さんが「大丈夫ですか〜」と飛んできた。
・無量光院跡
現在も発掘調査が行われており、ちょうど3時ごろだったためか発掘調査の人や現地協力の人たちが休んで談笑していました。
・達谷窟
平泉から少し離れたところにある神社(?)タクシーで移動。
(ここまでは駅からのバスがあるけど、15時すぎで駅までのバスは最終)
運ちゃんが親切な人で、境内の中でもしっかりガイドをしてくれました。
一枚岩の中に本堂が建築されており、これだけでも見事なのだが、境内に磨崖仏もあり。
残念だが明治の地震でだいぶ崩れてしまったらしい。
◎平泉駅に戻り、電車が来るまで30−40分ほどホームでマッタリ。
改装中のためキヨスクは駅の構外に。入札前にサワーとツマミを買う。
一ノ関までは2駅だが、駅に着く頃にはマックラに。
9月23日からダイヤが元に戻ったため、280キロで関東圏へ。
関東は雨がだいぶ降っているため、Kさん宅でもう一泊し翌日帰ることに。
お疲れ会を駅前の庄屋で開催、しかしKさんはかなり疲れている様子でした・・・。
※旅行記をきっちり記録できたのは今回が始めてかも・・・。