まぼろしの邪馬台国、残り30ページほどながら、おおむね読破しました。
昭和40年ごろの論ながら「倭人伝の国名はすべて日本語のオンに漢字をあてたもの」として音から国名を分析。
日本の地名はすべて由来があるため、地名を解読するとその場所がどういう風景の場所なのかを知ることができる。
倭人伝に記載された国名を分析し、互いに隣り合っている国と仮定して九州の地図と地名の指し示すところをたどっていくと、パズルのピースのように国がその地方に当てはまっていく。
そして倭人伝の解析が進む中、邪馬台国はここしかありえないという部分にたどり着くのだが・・・。
最近は出雲関連の書籍を読むにあたって古事記本文やら古事記関連が多く、邪馬台国に関する関心は今ひとつだったが、飽きることなく読破することができた(近日中に読破予定)。
テレビで邪馬台国関連の番組を録画したり、清張の本やら(鯨統一郎邪馬台国はどこですか含む)読んできたが個人的意見として「畿内説」はやはり無理がある。
畿内説は方角の書き間違え(南⇒東 ありえない)が前提となっているし、水行はテコギ舟もしくは帆船という潮の流れや天候に左右されやすい移動方法であることを考えると、畿内はやはり遠すぎる。
九州説のひとつである本書についても納得のいく説明ではあるのだが、気になる点が一つ。
筆者によると記紀の記載は事実に基づいて書かれているという前提で九州論を展開しているのだが、神代編のほとんどが九州内のできごとで収まってしまう、というのはどうかと思う。
本論にもとづく記紀の解釈についても詳しく書いてもらいたかったが、今回は倭人伝の国の分析にとどまってしまったので残念。