■ 戦闘機開発史(零戦編1)■

小学生の頃、原子爆弾投下や東京大空襲にまつわる映像や写真をみて「日本がなぜ負けたのか」ということに疑問を持ちはじめた。
ちょうど同じ頃、百科シリーズで「零戦のひみつ」やら「戦艦大和のひみつ」やらが本屋で売っており、無敵の零戦と浮沈戦艦のすばらしさが紹介されていた。
残念ながらこのシリーズは「日本がなぜ負けたのか」という疑問を解決するどころか、なぜ無敵の戦闘機と浮沈戦艦があって負けるの?と疑問をさらに深いところにつき落とすだけでしかなかった。

この疑問点を引きずりながら解決の糸口が見つけられずに中学入学。
この時にボードタイプのSLGにハマった。
当初はサンライズ作品のキャラモノを主にやってきたが、後にアバロンヒルその他の外国産ウオーゲームをはじめる頃には国内でもウオーゲームが続々と発売され始めた。
その中でとくに注目していたテーマはやはり「太平洋戦争」。
タタミ10畳分くらいのフロアがないと広げられないMAPを使うビッグゲームやら、ひとつの海戦のみを取り扱ったミニゲームやら、色々ではじめたので自分なりに吟味して購入した。
太平洋戦争の場合、ゲームとして成り立つのはせいぜいガダルカナル島の争奪戦(南太平洋海戦あたり)までで、1944年以降アメリカが大艦隊を率いて逆襲をするあたりからはバランスが悪すぎてとてもゲームにならない。
最近はゲームジャーナル(GJ)の付録ゲームに太平洋戦争終盤のレイテ沖海戦やら硫黄島戦などのゲームがつくようになったが・・・。
いずれも戦力差が歴然としているのでルールに工夫をするかVP制などでバランスをとるなどの調整がなされている(ハズ)。
・・・・結局、零戦が無敵なのはいつまでなのか、浮沈戦艦大和はどの程度活躍していたのか。
ゲームを通していくらか回答を得ることはできたが、興味もさらに深まったので色々本を読んでみた(おもに朝日ソノラマの戦記シリーズ=廃刊=やら光人社のNF文庫)。

日本が太平洋戦争に負けた要因は色々ありすぎるのだが、その中のひとつの側面として戦闘機開発(つまるところ技術開発のスピード)の差がある。
戦闘機の開発について日米でどれだけの差があったのか。まずは有名なゼロ戦零式艦上戦闘機・れいしきかんじょうせんとうき)について色々かいてみようと思う。

(1)戦闘機の役割

太平洋戦争開戦前、日本は中国との戦争に終結のメドがついていなかった。
大陸の奥へ奥へと中国軍が後退、日本軍もその追撃をおこなったが重慶などの山岳帯の基地をなかなか攻略できずにいた。
山岳地帯を飛び続けて敵基地に爆撃を行う長距離爆撃機エスコートできる戦闘機がなかったためである。
日本軍の主力機は九六式艦上戦闘機(A5M)。
皇紀1996年(昭和11年・西暦1936年)に制式採用された戦闘機で中島「寿」二型改一エンジン(632馬力)を積んでいた(九六艦戦一号型)。最高時速400キロ。
三菱が近代戦闘機を設計するにあたって色々な新機軸をもりこんだ野心作である。
(実はライト兄弟が初飛行してからまだ30年程度しかたっていない。飛行機は急速度で発達を遂げていた)
しかし優秀な設計のもとに生み出された九六艦戦は運動性能こそ群を抜いていたが、武装が弱い(7.7ミリ機関銃2)のと長距離爆撃機に随伴できないことがネックになっていた。
ドロ沼化する日中戦争に終止符をうつためにも、長距離飛行が可能で、かつ速度・武装ともに世界水準を飛び越える戦闘機が渇望されていた。
(実際は中国・蒋介石政権は重慶等に拠点を置きつつもアメリカから支援を受けていたため枯渇することはなかった)

そこで登場したのが零式艦上戦闘機皇紀2600年(昭和15年)に制式採用された新型戦闘機である。
零戦(A6M2)は大戦末期までの間に改修を受け続け、色々な改良型が登場するのだが、一番初めに登場した一一型の要目は・・・
 ・中島「栄」一二型(940馬力)搭載、最高時速533キロ
 ・7.7ミリ機関銃2、20ミリ機関砲2
 ・航続力 2530キロ

※A6M2とはA=制空戦闘機、6=6番目の機体、M=三菱、2=改造回数。
 A6M1にあたる試作1号機・2号機は三菱「瑞星」エンジンを搭載していたが、3号機からは中島「栄」エンジンを搭載し、そのまま制式化された。

零戦は長大な航続力で爆撃機エスコートを果たし、中国戦線では絶大な功績をあげた。
特に運動性能が抜群で、対戦闘機戦では他国機(I−15、I−16、P−39、P−40など)にうちまかされることはなかった。
零戦はその後、翼端50センチを折りたためるようにするなどの小改造をうけて(零戦二一型)主力空母に搭載され、大戦初期に大活躍をする。

つまり零戦という戦闘機は「長距離侵攻用」の制空戦闘機であることがよくわかるかと思う。
(戦争中期以降、空母搭載の零戦を陸上基地防衛用に転用されたりして本来の役割とは違う任務につくことも多かった。これはそれなりの原因があるのだが)

制空用戦闘機に求められることは、航続力があって「強い」戦闘機であること。
ここでいう「強い」とは時代と国によって考え方が異なるのだが、大戦初期の日本では「軽快な運動性能」と一撃で敵機を落とせる「火力」であるかと思う。
大戦初期における零戦は本来の役目を十分に成し遂げたといえる。

零戦のような制空戦闘機は「甲戦」とよばれたが、「甲戦」の他には「乙戦」「丙戦」があった。
「乙戦」とは「局地戦闘機」のことで、侵攻して獲得した航空基地を防衛するための戦闘機である。
基地を防衛することが主目的であるため、航続力は重要視されず、上昇力(高馬力エンジン)と爆撃機をも撃墜できる大火力が必要になる。
海軍で局地戦闘機として設計されたのは「雷電」で、爆撃機用の火星エンジンを搭載し20ミリ機関砲四門搭載する強力な戦闘機になるはずであった。
開発に着手してから振動や視界不良の問題に悩まされ続け、制式採用にとにかく時間がかかった。
(この雷電の開発が零戦の後継機開発が遅れる一因であったことは否めないだろう)

「丙戦」とは「夜間戦闘機」のことで日本では「月光」くらいしかないだろう。
夜間戦闘機と言ってもレーダーを搭載しておらず、斜銃を装備してB−29撃墜のためにとびまわったことぐらいしかエピソードがない。

戦闘機の種別についてはこの程度の説明で十分だと思うが、次回は大戦の中で零戦がどのように変わっていったのか、改修の変遷について書いてみようと思う。